クローン肉。
ここで言うクローン肉とは殺生をともなわない肉自体をクローンした食品のことです。
クローン肉が本格的に流通して、味も質も同じようなものがいつかできると仮定しましょう。
殺生の必要なく肉を食べることができると言う事は、人間が動物を殺さなければ生きていけないと言う原罪から解放されると言うことで、それ自体は非常に理想的で私も賛成であります。
ただひとつ心配なことがあります。それは既存の家畜がどうなってしまうかと言うことです。
そもそも家畜と言うのは人間にとっては製品なので、製品的価値を保つことによって、つまり人間に必要とされることによってその存在意義を保ってきました。
もし人間が家畜を食べないようになれば家畜はどうなってしまうのでしょう?
価値をなくした彼らは野生に返されるのがもちろん理想的ではありますが、大量にいる彼らが一斉に野に放たれれば大変なことになりますし、そもそも野生に適応していない進化をたどって来た家畜なので、ほとんど生き残ることもままなりません。勿論極一部上手く野生化して、適応する個体もいるでしょう。
ただ現実的に考えれば、ほとんど人間に殺傷分されるということが容易に想像できます。
日本の食肉牛で口蹄疫が流行した頃を思い出してみて下さい、全て殺処分されましたね。つまりそういうことです。
家畜は人間とともに数千から数万年生きて進化適応してきた生き物なので、人間と共に生きるのが彼らにとって最も適応された生き方となってしまっております。
生き物の種の目的はその数を増やして最終的に生き残ることなので、彼らが人間との共依存に適した進化をしたと言うのも、彼らなりのサバイバル術であります。
なので、彼らの家畜としてのサバイバル法を否定する資格はありません。
例えば、人間が滅びた後、案外野生化した家畜の一部が地上に君臨するかもしれません。そうなれば彼らの勝利です。なので、家畜の道を選んだ種も馬鹿にできたものではありません。人類に騙されて選んだ家畜の道ではありますが。
しかし将来家畜が商品的価値を失った時、大虐殺が起きてしまう可能性を考えるとなんだかやるせません。
家畜が生きる道は、我々人間に食べられることです。彼らにそのような運命を背負わせた我々は、まるで悪魔ですね。
彼らを食べないようボイコットを行おうものなら、需要を無くした彼らは絶滅の一途をたどってしまうという。。。。
人間の業の深さがよくわかります。
もちろん筆者は和牛が大好きです。