今回は珍しくドラマ「トドメのキス「の話をします。ちょっとだけ前の人気ドラマです。普段ゲームばっかりでドラマは見ない筆者ですが、こちらのドラマ、妻に勧められて見ました。とても感動しました。そして大変印象深いものとなりました。
ご存知こちらの「さよならエレジー」は名前の通り別れの曲です。しかしドラマを見た方ならご存知でしょうが、旺太郎と宰子は最後に結ばれるであろう描写があります。
となると、「さよならエレジー」は旺太郎のことを歌っているわけではないということがわかるのです。
ドラマ「トドメの接吻(キス)」
山崎賢人主演と菅田将暉の友情出演のドラマ「トドメのキス」を最終回まで見たあとの感想が含まれているので、ネタバレとなります。注意です。最後まで見た方用です。
筆者は元々タイムトラベル、タイムリープものが好物だというのもありますが、時空モノとしては大きな無理もなく、まぁ納得のいくストーリー展開で、「トドメのパラレル」も含めたエンディングにも満足しました。
ストーリーに関しては、解説しているサイトがたくさんありますので、お話しする必要はないと思います。詳しいサイトが沢山ございますので、私なぞよりも、よっぽど詳しいファンサイトを見てもらった方がいいでしょう。とりあえず下に公式を張ります。
春海 一徳の「さよならエレジー」
今回筆者が語りたいのは、春海 一徳(菅田将暉)がいっつも孤独に「さよならエレジー」を歌っていた理由の考察です。
「さよならエレジー」はもちろん「トドメのキス」の主題歌であります。ただ、作中の人間が歌っている主題歌というのはなかなか珍しく、製作者がどういう思惑と意図でそのような演出をしたのか推測するのは面白いです。
今思えば、春海は事あるごとに、まるで呪われた自分の運命を嘲笑するかのように、いつも一人で「さよならエレジー」を歌っておりました。
春海というキャラ
作中で春海がいつも一人で「さよならエレジー」をうたっていいるシーン。その解釈は人それぞれでしょう。
考えによっては春海は物語の狂言回しであり「トドメのキス」という旺太郎の物語を歌詞にして歌っていたと考えることもできます。
実際この曲は物語の話とリンクした部分もありますので、そう考えても不自然ではないでしょう。
でもですね、春海の背景を知れば知る程、この歌の本当の意味と歌詞の隠された切なさが伝わってくるのです。
それを念頭に置いて歌詞のおさらいに入りたいと思いますので歌詞を見てみましょう。
完全な筆者の妄想なので、もしかして私の知らないところのインタビューでこの歌詞の真相が製作者に語られていたとかだったら恥ずかしいですね~。軽く探したところなかったので、多分大丈夫ですが。
春海視点での「さよならエレジー」の歌詞考察
春海が自分自身の事を歌っているという筆者の解釈を前提として考察いたします。
先ずは冒頭の部分。
僕はいま 無口な空に
ここでいう「僕」とはだれか?というのが大事なポイントです。
私の解釈では、ここでの「僕」はどう考えても春海自身のことでしょう。
一人の時でも「僕はいま~」と歌っているのは春海自身なのですから、主人公の旺太郎の事を歌っているとは思えません。そんな義理もないはずです。
春海の深い孤独はまさに無口な空に対して語りかけるほどの孤独感。ドラマをご覧になった方はご存知でしょうが、彼はその能力のせいでだれにも理解してもらえず、孤独に次元を渡り歩いてきており、気が狂うほど人生に達観しています。
だからこそ作中でも、狂気と悟りの狭間にいる性格でした。狂っているようで、全てわかっているようでもありましたね。
この歌は彼の気持ちを代弁した歌だと筆者は考えています。
吐き出した孤独という名の雲
その雲が雨を降らせて虹が出る
どうせ掴めないのに
歌詞の中にある、孤独な春海のため息、つまり彼が抱える空しい悲しみと心の叫びは、言葉にならない涙であり、その涙の雨が佐藤 宰子という希望の虹を生み出したのでした。虹と言う、掴む事が出来ない希望を。
そう、春海の悲しみと声にならない叫びの根底は佐藤 宰子という希望だったのです。
初めてのキスを繰り返してほしくて
キスするたびに春海は死んでリセットする事になるので、実質的に作中での春海と宰子キスは毎回ファーストキスです。なので実は彼らは常にファーストキスを繰り返している事になり、なかなかロマンチックだったりする。
愛が僕に噛みついて 離さないと言うけれど
さみしさのカタチは変わらないみたいだ
長く次元を渡り歩いてきた春海、彼はついに自分とキスをしても死なない運命の人。愛する事ができる人間である宰子を見つけました。でも、寂しさを癒すことは出来ないのです。宰子の心は旺太郎にあるのだから。
それ以上に、私の予想ですが、宰子と春海と結ばれた次元はどれも不幸な結末になっていたのではないでしょうか?
だからこそ宰子の幸せを願うためだけに旺太郎をサポートするしかなかった・・のかもしれません。
春海の深い愛情を感じます。
舞い上がって行け いつか夜の向こう側
うんざりするほど 光れ 君の歌
「夜の向こう側」の私なりに解釈は。希望の夜明けの来ない春海にとって、絶対いけない場所、自分ではない別の春海が存在する、あちらのパラレル次元のことです。
繰り返すと、夜の向こうとは、この次元の春海が手出しができない、タイムリープの向こう側の世界だと解釈しております。
やさしさが濁った日々の
憂鬱は満員電車みたいだ
宰子を愛するあまり、春海のやさしさはどんどん歪になっていきます。悟りながらも狂っていく優しさ、その優しさは、周りを気遣かわなければならないあの満員列車のような心地悪さです。
冷めたぬくもりをむやみに放り投げた
自分が持っていてもどうしようもない冷めたものでも、それが彼にとってのぬくもりだったのです。でもそれすら放り投げないといけない。 なぜなら・・・
僕が愛を信じても きっといなくなるんだろ?
それならいらない 哀しすぎるから
春海がせっかく運命の人と思った宰子、でも宰子が愛しているのは旺太郎です。
春海はどうしても宰子の愛を得ることができない。宰子は旺太郎と結ばれないと幸せになれない。
そして何より宰子は常にキスをすることによって次元から去る存在、どんなに信じても最終的にいなくなる存在なのです。こんな事春海にとって哀しすぎます。
さよならさえも上手く言えなそうだから
手をふるかわりに抱きしめてみたよ
タイムリープをする相手に、上手に伝えられるなさよならなんて存在しない。とても悲しい事実です。
流れ星をみた 流れ星をみた
願う僕の歌
二回も流れ星を繰り返した意味、それは何度流れ星に願っても叶わないことがあるということ、切なさに拍車がかかる描写です。
そばにいるだけで 本当幸せだったな
そばにいるだけでただそれだけさ
実際春海はとっても幸せそうでした。春海にとってあの時ビルの屋上での宰子とのハネムーンは、彼の人生の中で最も幸せな瞬間だったのでしょう。
愛が僕にかみついて話さないというけれど
さみしさのカタチは変わらないみたいだ
春海は人を愛することが出来ない呪われた運命なので。人を愛しても愛さなくても結局寂しいだけ。
舞い上がって行け いつか夜の向こう側
うんざりするほど光れ君の歌
また出ましたね「夜の向こう側」春海の手が届かない、タイムリープの彼方です。
俺のいない世界でうんざりするほど幸せになってくれ。とやけを起こしています。
もう傷つかないもう傷つけない
光れ君の歌
もう全て諦めている。もういいから幸せになってくれ。俺はもういい、愛する君の人生が輝いてくれればいい。輝け君の物語。
という感じで、駆け足の解釈でございました。
「さよならエレジー」の歌詞を脳内翻訳しましたが、思い入れのある方と熱烈なファンが多いドラマなだけに、賛否両論激しいと思います。
こう見ると、春海は物語の狂言回しなどではなく、物語最大の被害者です。
春海視点でこの歌詞を考えると、泣けてくるのは私だけでしょうか?
これは、宰子に対する春海からのメッセージなのだと思います。
そしてこの歌詞を読み解いていくうちに、やはり
春海のタイムリープは一度ではなかった?
と思うようになりました。
作中の、特に当初の頃、春海はとてもミステリアスで、すべてを知っているかのような素振りでした。作品を見た方ならご存知でしょうが、春海のタイムリープは3か月です。
つまり春海の3か月のタイムリープは「さよならエレジー」という物語を冒頭までリセットし、完全になかったことができる能力でもあると考えることができます。
ということは、春海はこの物語を何度も何度も繰り返している可能性が示唆されているということなのです。
そう考えることによって、春海の悟った狂気の意味が少し理解できるようになります。
ということは春海は何十回、何百回と「トドメのキス」の物語を繰り返していた可能性が高いです。実際彼は心中した自分の家族を助けるため何十回と「ファーストキスを」繰り返していました。
春海、実は作中でも春海は「トドメのキス」の物語を知っているかのようなそぶりを見せているにもかかわらず。すっとぼけている部分も垣間見ることができます。益々怪しいです。この「トドメの接吻」の3か月間の物語を何度も繰り返しているという証拠にもなりえます。
だからこそ、春海は主要人物でもあり狂言回しという二役が出来るのです。
そう考えると、その無数のタイムリープの中でもきっと春海は佐藤 宰子と結ばれる結末を目指して奔走したことがある、ということは想像に難くありません。運命の人である佐藤 宰子をようやく見つけた春海が、そうしない理由はないでしょう。
それでも、物語の結末は皆さんご存知の通り佐藤 宰子は旺太郎と結ばれました。
これはきっと、春海はこの3か月を何百何千回と繰り返しても、宰子と結ばれる運命になかったからなのです。 いや宰子と結ばれると、どうしても彼女が不幸な結末に陥っていたのでしょう。
彼女が幸せになる次元は旺太郎と結ばれることだけだったのです。それを知っているのはもはや神的存在である春海だけです。
だからこそ春海はせめて愛する宰子に降りかかる不幸な運命から救うため、旺太郎をサポートし、結果的に宰子と旺太郎を結んで幸福を与えたと思います。
すべてを知った上で、すべてをあきらめた春海、彼はまさにこの世界の神なのです。
その後の春海
春海は、キスの能力によって旺太郎と宰子が結ばれた次元から去ることが可能なので、彼らの前から去りまた新たな運命の人を探しに、またキスによって次元を渡り歩いていることでしょう。いつか本当の意味で幸せをつかんでほしいところです。
春海の深い愛
宰子に対して春海はそこまで好きだという思わせぶりなそぶりは見せませんでしたが、「さよならエレジー」の物語は春海の深い愛の話だったのです。そして、さよならのエレジーとは、宰子に対する春海の運命を皮肉った主題名だったということがわかります。
もしかして春海は宰子と結ばれるため、何千回とタイムリープを繰り返し手いたのかもしれません。そしてそれがことごとく失敗していたのです。春海は是対宰子と結ばれることは無いのです。だからこその「さよならエレジー」なのです。
春海のあの性格を分析すると、実は愛が深すぎたゆえに愛を捨てざるを得なかった人の性格そのものではないでしょうか?
だからせめて春海の深い愛に涙してあげてください!皆さんが思っている以上にとんでもなくかわいそうな人なんです。
最後に下世話な話
旺太郎と宰子はキスが出来なくてもセッ○ス はできるからもんだいないよね。
それなりにつじつまを合わせたつもりですが。妄想にお付き合いいただいて誠にありがとうございました。
お叱りのコメントも歓迎です~