ブリオリウスの妄想

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米津玄師さんの #POPSONG 考察から見る作品リスペクト等のあり方。「POP SONG」と「モダンタイムズ」から見えてくる「FF6」とケフカ様

大好きな米津玄師さんにこの投稿を捧げます。本当は1月23日、1・2・3の日にこれを投稿したかったのですが、間に合いませんでした。

ゲームの話ばかりなのでたまにはポップに音楽の話をしてみようかと思いましたが結局すごくゲームな話になってしまいました。というかついにファイナルファンタジーの考察始めました!?

ゲーム界においてはついに「ファイナルファンタジー16」の主題歌を歌うことになった米津玄師さん。音楽界の本流ではなかった在野のボーカロイド界隈出身者達が世界で認められていくのをとても痛快な思いで見ております。 

その米津玄師さんの少し前の曲となりますが去年の2022年にプレイステーションのキャンペーンのタイアップ曲として発表された「POP SONG」。この曲は非常の多くの隠れたリスペクト、オマージュやイースターエッグのある大変面白い歌なので、オマージュ元や米津さんがこの曲に込めた隠れたメッセージを考察をしてみたいと思います。

*以下の作品のネタバレや情報を含みます
ゲーム:FF6

映像作品:モダンタイムズ、NANA、デスノート

この曲はゲーマーの皆様ならご存知、「プレイステーション5」のCMで起用された曲。
以下に動画も貼ります。


www.youtube.com

米津さんはテーマ元に対する解像度の高い曲作りに定評があるので、こちらの作品もゲームに対する深い考えが込められていることを前提に考察しても差し支えがないと思います。

この記事は「POP SONG」が配信された2022年5月から執筆を始めておりますので、曲がリリースされた後に出せれば良かったのですが、2年近く考察できるほどネタが豊富で、また自分も躁の時しか書けないのでちょっと無理でした。

妄想の割にはそれなりに裏取りもできていると思いますので、中には真実もあると言う自負はあります

この曲の表面的なテーマは米津さん本人へのインタビューで大体語りつくされているので、こちらの記事を先に読むとわかりやすくなると思います。

natalie.mu

さて、#米津玄師POPSONG を何度も聞きながら考察に思いを張り巡らせましたが、インタビューでは語られていない米津さんの考え、リスペクト、オマージュ、パロディ、インスパイア、イースターエッグ等が散りばめられており、米津さんが語った通りゲームのような音楽作品となっているのでとても楽しく考察をさせていただきました。

オマージュ、リスペクト、インスパイア、パロディーの意味に関しては以下のブログで簡潔に解説されておりますのでご参考ください。

gimon-sukkiri.jp

MVの舞台と世界観

MVに登場する舞台はゲーマーならどこかで見たような世界観で、どこかで見たようなキャラ、どこか懐かしいメロディーの中で見たことある隊列の取れたスパルタ風の歩兵たちが城で行軍する、とってもゲームな閉鎖世界です。

米津さんは一人のNPC兵士の体を乗っ取って変身させる形で現れ、空虚で機械的な行動をするその他のNPCのモブ兵士連中を茶化しながら遊びを教えることで兵士たちにも感情が芽生えます。途中でシーンが変わり攻撃的だった兵士たちがイギリスのくるみ割り人形風に変わり、巨大な人形遊びが開始されます。そして米津さんは分身しながら謎の猫足のバスタブでフライバイ!

最後に夢から覚めたら兵士たちをあおりながら、米津さんがより大きな外の世界への扉を開く、というのが大まかな流れです。

沢山の映画と映像作品で充電

まず米津さんは雑誌のインタビューで「感電」から「POP SONG」を作るまでの一年の充電期間中は沢山の映画を見てきたとおっしゃってました。MVを見るとまさにその通りで、非常に沢山の名作映画のリスペクトやオマージュが散見されましたのでこれらを羅列します。

セーラームーン

オープニングでモブの兵士が乗っ取られて変身する最初のシーン、米津さんがインタビューでも回答しておられましたが、本家に作ってもらった効果音からポーズまで完全にセーラームーンで、これは米津さんの持つセーラームーンへのリスペクトと変身願望の現れと仰っていました。インタビューでこれを酔っぱらった時の解放された自分と表現されていたので、倫理もモラルも超越した遠慮のない素の米津さんに変身したのでしょう。という事は素の米津さんは魔王だと本人が公言しているようなものです。

アニメ史においてセーラームーンは忘れてはならない名作だというのは当然ですが、ここで魔法少女を入れてきた理由は変身願望だけではなく、今回のテーマにも絡むとみているので後述します。

モダンタイムズ

「POP SONG」に関して絶対見逃してはいけない要素。曲の導入部分のメロディーからすでにチャップリンの「モダンタイムズ」のリスペクトです。この導入のメロディーは「モダンタイムズ」に出てくる「ティティーナ」という歌を即興のフランス語風歌詞で歌った「ナンセンスソング(くだらない唄)」を意識したものとなっています。

チャップリン演じる主人公がフランス語歌詞が書いてあるカンペを無くしてしまい、苦しい紛れにフランス語風のでたらめな歌詞を即興したら観客に大うけしたというエピソードです。

「モダンタイムズ」をざっくり要約すると。労働者の個人の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を皮肉な笑いで表現している作品です。主人公は紆余曲折を経てヒロインと現代社会の冷たさと束縛に囚われない自由な生活を求め、二人ははるか向こうに続く一本道へと歩き去っていく、というストーリーです。

「モダンタイムズ」は流行に流される社会を風刺したチャップリンの名作で、流行に流されてしまい「どうかしている」人々が登場するディストピアな社会への皮肉がそこにあります。ゲームでもたびたび登場するタイプの舞台設定です。

エピックな雰囲気を醸し出すこのメロディーは映画史に対する丁寧なリスペクト、そして「POP SONG」という歌のテーマでもあるのです。米津さんは初心に戻って一から映画と娯楽の歴史に向き合い、その真摯な感謝の気持ちをこのオープニングに込めたのでしょう。

このモダンタイムズの挿入曲「ナンセンスソング(くだらない歌)」は「POP SONG」のテーマという事で、米津さんも「POP SONG」の曲中で何度も「くだらねえ」を連呼しております。「POP SONG」はモダンタイムズと共通のアンチテーゼを掲げた歌なのです。

この「ナンセンスソング」の歌詞は原曲「ティティーナ」の歌詞を忘れた主人公が苦し紛れに歌ったフランス語風のデタラメ語で意味を持たないのにも関わらず、作中では観客に大変ウケました。ナンセンスなのに客には大ウケという皮肉は「POP SONG」が抱えるテーマの一つです。

またこの時代は丁度無声のサイレント映画から役者のセリフがあるトーキー映画に移り変わる過渡期の時代でもありました。娯楽が新たな娯楽へと生まれ変わる時代です。

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シンギング・イン・ザ・レイン (雨に唄えば)

歌詞に「雨に唄えば」というフレーズがありますが、間違いなくこれのことでしょう。サイレントからトーキー映画への過渡期を描いた名作です。サイレントからトーキーに移り変わったようにゲームも体験型にシフトする過渡期でもあるということでしょうか?

MV中の米津さんの踊りも少しこれを意識しているかのようです。あまりの喜びに雨の中で踊り狂う主人公の輝きは周りには異質に見えます。

米津さんが「あーめにうたえば」とうたっている部分は「雨に唄えば」の歌いだしの部分「I am singing in the Rain」のメロディーのリスペクトです。

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メトロポリス

救世主が労働者を先導して革命を起こすところは「POPSONG」のNPC解放運動に通じるところがあります。モダンタイムズとはテーマが似ていますし、それ以外にもなんとなくどこかで何がかモチーフになっている気がするのですが、どうしてもわからないので、今は棚に上げます。強いて言えばFF6がメトロポリスにインスパイアされた作品です。

ちびまる子ちゃん

「POP SONG」の一節に「あーりんりんらんらんあっぱっぱらぱー 」という謎の歌詞があります。この一見なんの繋がりのない謎フレーズが、なんとちびまる子ちゃんで繋がっているという事がわかりました。

「りんりんらんらん」はちびまる子ちゃんのエンディングテーマである西城秀樹の「走れ正直者」の歌詞にある「りんりんらんらんソーセージ」というフレーズからきていると推定します。

余談ですがこの「りんりんらんらんソーセージ」は70年代に活躍していた「りんりんとらんらん」という双子(双生児)の歌手のことを指しているのでソーセージは双生児の駄洒落です。

そして「あっぱぱらぱー」は「おどるポンポコリン」の「ピーシャラピーシャラぱっぱぱらぱー」の「ぱっぱパラパー」の部分です。この二つを合体させると「りんりんらんらんあっぱっぱらぱー 」となります。

どっちもナンセンスなフレーズなのに、知っている人の多い人気のある歌詞です。むしろナンセンスなフレーズの部分が一番有名という皮肉です。

これは正にチャップリンのナンセンスソングに通じるものがあります。だからポップなんて「りんりんらんらんあっぱっぱらぱ」でも良いのだ。と米津玄師さんは仰っているようです。

シンデレラ

「POPSONG」の歌詞に「ビビディ・バビディ・ブー」というのがありますが、これはディズニーアニメ映画の「シンデレラ」に出てくる「ビビディ・バビディ・ブー」という変身の呪文です。完全な造語なのにめちゃくちゃ有名なフレーズの一つで、言葉としてはナンセンスなのに誰もが知っているという皮肉を持っています。そしてそのナンセンスなフレーズがシンデレラを映画史上最も有名で認知度の高いプリンセスの一人に押し上げました。

またあまり知られていませんが、「シンデレラ」こそが映像作品において最初に変身した少女で、「元祖変身のレシピエント」と呼ばれています。つまり変身シーンから始まる「POP SONG」としてはリスペクトしないといけない変身少女の祖がシンデレラなのです。

NANAとジブリ

猫脚のバスタブは「NANA」に出てくる要素です。米津さんは常々「NANA」という作品をリスペクトしていることで知られており、米津さんのハンドルネームの「ハチ」も「NANA」から来たものという話です。なので米津さんにとってNANAは外すことが出来ない作品なのでしょう。

「NANA」の消えた猫足のバスタブは最後すべての想いを乗せてどこかへ飛んで行ったと言う解釈なのではないでしょうか?

その記憶と意思が猫バスになり、過去から「Fly By」してトトロのラストでのさつきとメイよろしく、挨拶して脳裏をよぎると言う強引さで流します。

日本の映像作品であれば当然ジブリは外せません、きっと米津玄師さんに多大な影響を与えた事でしょう。実際米津さんはその後、ジブリの「君たちはどう生きるか」主題歌を担当することになりました。

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ゲーマーなら大体見てる映画。そりゃ米津さんなら見てるでしょうし大好きでしょう「スリーハンドレッド」。スパルタ兵みたいなのが出てくるのはそんなとこなので、もはや語る必要もございません。

米津さんの姿

次に曲中で米津さんの格好を見てみましょう、カラスのような黒い羽の堕天使風の出立ちで、羽根で構成されたジャケットをまとっているようにも見えます。癖のある歩き方と、おどけた雰囲気。そして髪型はクルクルの茶髪で顔立ちは中性的。

よく口走る「くだらねえ」というフレーズは良い意味でも悪い意味でも使われているように聞こえます。

この謎のキャラが意味するものとは?

様々なキャラ

先ほど紹介した作品以外にもMVで米津さんは複数のキャラを思わせる意味深な格好で何者かを演じております。これはおそらく米津玄師さんが今の自分を形成する上で重要なキャラたちをオマージュ/リスペクトしているのだと考えます。キャラたちは映像、ゲーム、アニメとメディアを問わず集められております。

これだけ色々なキャラをオマージュしている理由はキャラに対する愛しかないので、これは素直にキャラへの賛美と感謝の歌でもあると考えます。

ということでまずはこの作品に見えるオマージュ元を探って米津玄師さんの言わんとすることを読み解いていきたいと思います。

まずはMV中の米津さんの姿を構成する元キャラを考察してみます。

リューク

黒いカラスの羽毛のようなばっさばさの衣装が「デスノート」の「リューク」と似通っています。

口癖は「つまんねー」で、おもしれえことが好きな快楽主義者。常に面白いことに飢えているということで、MVで米津さんが演じるキャラとも一致します。歌詞の「くだらない」と「つまんない」が薄く被ります。

善悪を超越した存在ですが、やはり悪寄りの束縛されない無敵の人。我らがダークヒーロー。

ミサミサ

幼稚で無邪気でそこそこ頭も切れる一途なヤンデレアイドル。髪型とゴスパンクな衣装がMVの米津さんと一致。

自分が好きなことを全力でやりきる快楽主義者。恋愛と遊びに妥協がなく、ライトの為ならいつでも死ねる無敵の人。と言うことで米津玄師さんはデスノートに多大なリスペクトを持っているのが伺えます。

またファッションセンスが米津さんの好きなNANAと似通っているのも偶然ではないでしょう。

そして彼女も立派なダークヒーローです。

ケフカ・パラッツォ

MVの米津さんのしぐさと衣装がケフカ及びケフカの最終形態を思わせます。

ケフカは魔力注入手術により精神が破壊されたせいで倫理のリミッターが解除され、この世のすべてが自分の遊び場と化した狂気の道化師である無敵の人。趣味は人形遊びなのですが、もちろん生きている人間も含みます。

赤子が積み木を破壊して楽しむように世界を華々しく破壊しつくすのが彼の娯楽の美学で、口癖は「つまらん」と、前述のリュークとも共通点があります。

逆に言うと、自分本位ですがこの世のすべてを面白くしたいと考えている究極の快楽主義者と考えることもできます。

「POP SONG」のMVの途中、場面が切り替わってくるみ割り人形風のお人形遊びワールドが始まりますが、これもケフカの人形遊びの趣味が反映されていると思われます。ケフカには人も人形も同じに見えるのです。

また、この夢空間で米津さんの周りに沢山の分身が現れますが、これはケフカの多重人格を表しています。そう、ケフカはちろん多重人格です。その証拠に作中でもケフカの一人称はぼく、ぼくちん、おれ等、毎回違うのです。

人形遊びと多重人格、これらもケフカを構成するうえでも重要な要素です。

ケフカはクズだけどどこか共感してしまうダークヒーローなのです。

 

この三名のサイコパスを見る限り、人が求める究極の娯楽と快楽はいろいろだなー(棒)と思えるのでまさに「POP SONG」のテーマとも合致します。

そもそも悪役がいないとゲームという娯楽は成り立ちにくいので、米津さんはその悪側の立場で世界を娯楽で埋め尽くすのです。ゲームの悪とは即ちストーリーと娯楽を作り出すエンターテイナー、メタ的な立場から見ればゲームの悪は必要悪なのは間違いないのです。

そして彼らこそが米津さんが憧れを抱くダークヒーロー達です。

しかし、もちろんダークヒーローに対をなす光のヒーローも出ています。

ティナ


MVで米津さんは青色のぱつぱっつんのタイツを履いておりますが、これはFF6のティナの派手なタイツをケフカ的存在が皮肉っているパロディーと考えます。

冒頭のセーラームーン風の変身も、これはシンデレラ、セーラームーン、ティナへ脈々と受け継がれた魔法少女の系譜と言う事で、ティナを魔法少女とみなし、その変身(トランス)をパロディーとして揶揄したものです。

あと、MVで米津さんが乗っている謎自転車ですが、よく見るとところどころティナが騎乗する魔道アーマーへのパロディーが散見されます。自転車についているオレンジの丸い部分とか、下の写真と魔道アーマーの動画を見比べると何となくそんな感じがしてくるのは妄想が過ぎますでしょうか?

つまるところこのMVはティナをパロディーにして茶化すケフカの図に見え、このMV自体FF6の風味が強いものだという事がわかってきましたのでその方向で考察を続けます。そんなティナでも悪役がいなければ、輝くことができないのです。

ガストラ皇帝

ほんとついでですが、登場する兵士のカラートーンと恰好ががガストラ帝国兵ににており、指揮官兵もガストラ皇帝のカラートーンとなっています。MVの指揮官兵もガストラ皇帝同様茶化されます。やはりFF6に寄るのです。

ゾゾの町

「ゾゾの町」は常に雨が降っているスティームパンクなスラム街で、巨大な時計台があります。歌詞の「雨に唄えば、なんて晴れやかだ」というフレーズも「ゾゾの町」のことを唄っているかのようです。そもそも「ゾゾの町」自体「雨に唄えば」と言う作品をリスペクトしているとも考えられます。

なんと言うか坂口さんはじめFF製作陣の映画好きがひしひしと伝わります。そもそもFF自体、映画の感動をゲームに移植するという情熱で作られていると記憶しております。

FF6に出てくる「ゾゾの町」と「シドールの町」の関係は冒頭に述べたチャップリンの「モダンタイムズ」がモチーフとなっています。

そしてシドールの町の「からくり屋敷」というBGMは「モダンタイムズ」の挿入歌「ティティーナ(ナンセンスソング)」のオマージュです。なので「ゾゾの町」と時計台も「モダンタイムズ」の冒頭に出てくる歯車でいっぱいの製鉄工場がモチーフです。

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そもそもファイナルファンタジー6のテーマは「過剰な機械と資本文明への警鐘」という「モダンタイムズ」と同様のテーマを描いていることから、FF6は「モダンタイムズ」そして「メトロポリス」を下地にしているという事が今回の米津さんの「POP SONG」で再認識されたのです。

ファイナルファンタジー6

ここまで慎重に読み解いてようやく朧げだったファイナルファンタジー6が見えてきました。初めから米津さんの姿としぐさがケフカっぽかったので、FF6ぽさがあるなとは思っていましたが、これだけの証拠が出てくると、本当にFF6をリスペクトしたオマージュ色が濃い作品だったと考えます。

実際この後に米津さんはFF16の主題歌を作曲しているので、何かしらの思いが含まれているかもしれません。またFF6とFF16は同じ世界の違う時代だと言う都市伝説があるぐらい共通点があるので時間があれば考察したいものです。

そもそも↓

ケフカのテーマ

実は「POP SONG」のメロディーがFF6のケフカのテーマのリスペクト/オマージュ作品となっております。似てる似てないは個人の感想なので、私が音楽の造詣に深ければもう少し具体的に説明できるのですが。。
例えば、まず歌いだしの「ちゃらけた愛をうたってるベイビー」の部分はテンポを落とすとケフカのテーマの開始部分ととても似ており、音楽の構成もフルコーラスのオーケストラバージョンの「ケフカのテーマ」をオマージュしているように聞こえます。

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つまり何が言いたいのかというと

「POP SONG」はケフカリスペクトの曲、と言うか米津さんがケフカなのです。

どこにも語られていませんが、米津さんはケフカが大好きだということが伝わります。冒頭で素の米津さんは魔王と述べましたが、素の米津さんはケフカだったのです。

世界の破滅を美とするスーパードクズサイコパスのケフカなので、なかなか公には好きと言えないですよね。というのも好きだと公言したところで、どういったところが好きなのか聞かれるわけなので、一生懸命回答してもなんか変な誤解を生む為、黙秘しているのでしょう。でもそんな気持ちがあふれて歌になったのが「POP SONG」だと考察します。代弁すると、ケフカの娯楽に対する妥協のなさをリスペクトしているのでしょう。

POP SONGとは

今回の作曲の経緯は流れ的に「モダンタイムズ」から「FF6」がインスパイアを得、「POPSONG」は「FF6」と「モダンタイムズ」をリスペクトする形となっています。

なので「FF6」も「モダンタイムズ」もどちらもも過度な機械と資本文明への警鐘という同様のテーマを抱えて現代社会に鋭いメスを入れた作品でもあるというのがわかります。

しかし実は「POPSONG」は「モダンタイムズ」へのリスペクトという皮をかぶった「ファイナルファンタジー6」にインスパイアされたケフカへの愛とパロディーの歌なのです!?

それを踏まえると「POP SONG」とは

①無機質でつまんない世の中だけどせめてゲームをして楽しもうぜ

②そしてこれはくだらない既存の世界の常識と価値観をくだらないゲームによって破壊させようという俺様の中二病的魔王の思惑

③そんな素敵なくだらない世界を生み出してくれているすべての魔王やキャラたちへの感謝

「POP SONG」は米津さんが経験したであろうこの現代社会の持つ冷たさと拘束感、それに対する解としてゲームが存在しているという事を歌に織り込んだ作品です。米津さんはすべての人にゲームは単なるゲーム以上の偉大な存在なのだと言うことを知って欲しいのでしょう。ゲームに救われた人もたくさんいるのですから。

これは歌に愛するキャラたちを載せ、作品と登場人物への感謝と愛情を込て歌った、ゲームの「くだらない」賛美歌なのです。

そう、「POP SONG」はくだらない讃美歌、実在しないゲームやアニメのキャラを讃える歌なんて、理解のない人間から見れば極度にくだらないのである。だが、それがいい。それで世の中が面白くなるのです。

そしてここでようやく

「遊びのない世界なんて。。。。PLAY HAS NO LIMITS」

というプレステの宣伝文句につながるのです。

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高杉晋作

少し脱線しますが、この曲の歌詞を読みながら聞き終わった後、頭に浮かんだのは幕末の志士、奇兵隊の「高杉晋作」さんの詩でした。1,2,3で見てみましょう。

1,2,3,で「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」

1,2,3,で「おもしろきこともなき世をおもしろく」

このニヒルを極めた高杉晋作の思想と米津さんの「POP SONG」がとても似ているのです。 

高杉さんは見た目が米津さんに似ていると言われておりますが、性格も近いのかもしれません。彼らに浅からぬ縁を感じるのは私だけでしょうか?

ゲーム音楽から見る作品へのリスペクト

もう一つ、今回の「POP SONG」で米津さんが言わんとすることに、オマージュ文化へのリスペクトというのがあります。オマージュとリスペクト、インスパイア元のない流行曲など存在しないという事です。これをパクリと一蹴してしまうのは非常に考えが浅く、その考えだと今の歌はすべてクラシック曲のパクリとなります。

でもそうではないのです。今の流行はすべてこれらの上に成り立っているのですから。

ということで「ティナのテーマ」のオマージュ元は「続・夕日のガンマン」。「シャドゥのテーマ」は「夕日のガンマン」。「ロックのテーマ」は「荒野の七人」です。ここまで読んだ方であればここの聴き比べでわかると思います。

ティナのテーマ

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特徴的なあのメロディーがほぼ共通していますね。

シャドゥのテーマ

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雰囲気がそっくりリスペクトされています。

ロックのテーマ

「荒野の七人」のテーマ曲の疾走感がリスペクトされています。

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ヒーロー曲っぽい構成がリスペクトされていますね。

FF6のインスピレーション元

これらのキャラのテーマは西部劇の音楽からインスパイアされたものだという事がわかりますが、これはFF6がモダンタイムズと荒野の七人からインスピレーションを受けているという事でもあります。

ざっくり言うとFF6は「荒野の七人」(さらにそれのオマージュ元である「7人の侍」)を連想させる癖のあるヒーロー集団がモダンタイムズ的な機械文明社会に立ち向かうという二つの作品を合体させた構図なのです。

FF6では14名の東洋的、西洋的なプレイアブルキャラたちが混在していますが、これは「七人の侍」と「荒野の七人」を合わせた数と考えます。おそらくFF6のキャラのモチーフとなった人物もこの中に存在することでしょうが、いつか考察するかもしれません。FF6のカイエンなんかは三船敏郎のキャラが元となっているかもしれませんね。「七人の侍」、いつか見てみたいものです。

POP SONGへ

つまり「武士道」からインスピレーションを得た「7人の侍」をリスペクトした「荒野の七人」、及びチャップリンの「モダンタイムズ」をゲーム作品としてオマージュしたものが「ファイナルファンタジー6」で、その「FF6」からインスピレーションを受けた歌が「POP SONG」となります。なのでこの歌がそれら作品の全ての想いが込められていて当然なのです。

先人の思い

我々生粋のゲーマーが少年の頃に遊んだゲームの物語ですが、成長して大人になるとそれらは実は様々な元となったストーリーや思想があり、成長し大人の知識を身に着けていくにつれて、あのゲームのあのくだらねえ物語はそういう意味だったのか!と気が付いていくことの連続だと思います。

例えばFFやドラクエ等のゲーム音楽もそうです。大人になってクラシック音楽を聞くようになると、いつか聞いたあのゲームの名曲にも、元となる音楽があるのだという事に気づきます。

しかし例えばドラクエのすぎやま先生はクラシック音楽をパクって作曲したわけではないと断言します。何度も言いますが安易にパクリという言葉を使う人間は考えることを止めた浅はかな人なのです。

偉大なるすぎやまこういち先生は「バッハ」や「ヴィヴァルディー」「モーツァルト」「ジョンウィリアムズ」といった作曲家の名曲をオマージュそしてリスペクトした音楽をゲームに取り入れることによって、我々にクラシック音楽のすばらしさを教えてくれました。

少年少女たちが成長して大人になった時にクラシック音楽への素養となるよう道を切り開いてくれたのです。その為ドラクエを遊んだ世代はクラシック音楽への素養が高く、すぎやまこういち先生がきっかけでクラシック音楽を好きになった方も多いと思います。

植松伸夫先生の音楽もそうです、先生の音楽は今回語った「モダンタイムズ」など、よりポップな名作映画作品の音楽から取り入れていることが多く、これも少年少女が成長して名作映画に触れた際の素養になります。脱線しますが「ネバーエンディングストーリー」のサントラを聞くととってもFFです。

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米津玄師さんの「POP SONG」もそういった先人の思いをリスペクトし、その先人より脈々と受け継いだオマージュとパロディーによる、娯楽やゲームの壮大でイカした「くだらない」歴史と価値観を唄った、感謝と尊敬のニヒルな讃美歌なのです。

まとめ

冒頭のメロディーが「モダンタイムズ」に登場する「ナンセンスソング(くだらない歌)」のリスペクトであり、これが米津さんの言う「くだらねえ」イズムの根本だという事が読めて初めてこの曲の考察のスタートラインに立てるとおもいます。

「POP SONG」とは

①無機質でつまんない世の中だけどせめてゲームをして楽しもうぜ

②そしてこれはくだらない既存の世界の常識と価値観をくだらないゲームによって破壊させようという俺の中二病的魔王の思惑なんだけど

③そんな素敵なくだらない世界を生み出してくれているすべての魔王やキャラたちへの感謝がしたい

④そしてこれは先人より脈々と受け継いだオマージュとパロディーによる、娯楽やゲームの壮大でイカした「くだらない」歴史と価値観を唄った尊敬と感謝の

ニヒルな讃美歌

です。

 

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